片岡 樹 教授のインタビュー

片岡 樹 教授
片岡 樹 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授

経歴

  • 筑波大学国際関係学類の五期生として卒業。
  • 同大学地域研究研究科(現国際公共政策学位プログラム)で修士号取得
  • 九州大学比較社会文化研究科で修士取得
  • 同大学同研究科で博士号取得
インタビュアー
清水 大地

清水 大地

  • 国際公共政策学位プログラム博士後期課程
  • 開発人類学を専攻。関心領域はマラウイ共和国における社会保護とアフリカ哲学。
石山実弥

石山 実弥

  • 国際公共政策学位プログラム博士前期課程。
  • 歴史学専攻。関心領域は20世紀の中央アジア。

イントロ

清水:それではインタビューを始めていきます。よろしくお願いします。
今回は片岡先生に、筑波大学での思い出や、現在の研究などについて伺いたいと思います。それでは片岡先生、自己紹介よろしくお願いします。
片岡:片岡樹と申します。筑波大学の国際関係学類の五期生で、卒業の後、現在の筑波大学大学院国際公共政策学位プログラムにあたる地域研究研究科で修士を取得しました。
筑波大学で修士を取ったのち、九州大学大学院の比較社会文化研究科というところで2つめの修士を取ってから博士も取りました。現在は京都大学大学院のアジア・アフリカ地域研究研究科で教授をしています

なぜ現在の研究テーマに関心を持ったのか

清水:先生はどのような研究をしていますか?
片岡:私の研究は大きくわけて日本と東南アジアの2つの地域を対象にしています。
タイを中心に、山地少数民族の文化と宗教について主に調べてきました。その後で、都市部での中国系の廟やお寺に関する研究も始めました。
それから、ここ5、6年は愛媛県を調査地として民間信仰に関する研究も進めています。
東南アジアのフィールドでの研究は宗教や文化に直結しない話題である移住史や政治についても論文を書くことがあります。
清水:ありがとうございます。どうしてこれらのテーマに問題関心を持ったのでしょうか?
片岡:元々は卒論ゼミを選ぶときに、東南アジアをやりたいなと思ってゼミを選んだんです。そして当時の国際関係のカリキュラムでは政治学の科目が多かったので、卒論はタイの政治について書きました。タイの政党についてをテーマにしたのですが、そのテーマについてもっと考えてみたくなって、地域研究研究科の修士課程に進みました
しかし「よし試験に合格したし、4月から修士課程でタイの政党の研究をしよう」と意気込んでいたら、入学直前にタイでクーデター(注:1991年クーデターのこと)が起きて、軍事政権になってしまったんですよね。ですから私が入学した瞬間には議会が閉鎖されていて、研究対象がなくなってしまったんです
石山:ものすごいタイミングですね…。
片岡:ええ。それで、ならばタイの国民統合について考えたいと思ったんです。そうなると少数民族問題に関心が出てきました。どうせなら、首都から一番遠くに住んでいてメインストリームから遠そうに見える人たちを研究することにしたんです。
それで実際タイの山地に行ってみると、キリスト教徒の村がいっぱいあったんです。そこでキリスト教徒の文化面白いなと思って学生時代に研究を続けていました
片岡:それから、研究を続けるうちにその人たちが、冷戦期に中国やミャンマーからタイに移住してきたことがわかったんです。その経緯を知って、宗教だけじゃなく、彼らの歴史や政治についても考えるようになって現在に至ります。
それから中国系の廟やお寺について研究をするようになった理由もタイ山地の少数民族についての研究が関係しています。タイ山地に行っても中国陸路からきている人たちが沢山いることがわかったんです。それから海から来た人たちもいて、中国大陸から人が入ってくることで、東南アジアの歴史や政治の動態が動いていることに気が付いたんです。それで彼らに興味を持つようになって、彼らの文化である中国系のお寺や神様についても研究するようになりました。
石山:先生の研究の興味関心は、政治学から人類学的な視点に移行して、そしてやっぱりどっちも見ていくっていうような感じで、すごく幅広い視点で物を見ているのが、今のお話を聞いても、先生の著書を読んでも感じます。
片岡:ありがとうございます。
筑波の国際関係学類にいた4年の間は大部分が政治学関連の科目を取っていました。
でもその後、大学院に行っているうちに、人類学者の本ばっかり読むようになったんです。
そんな感じで関心が人類学に移行した後もたまに「そういえば俺は大学の4年間で政治学ばっかり勉強していたな…」と思い出すので、そこが大きいのかもしれません。
石山:タイ山地の少数民族の研究に関する先生の著書を読んだ時も、政治学的な視点も取り入れての研究なのかなと思ったのですが、やっぱりそれは先生自身もその視点を意識して書いたのでしょうか
片岡:それはどちらかというとフィールドの性格によるかと思います
研究対象にした地域であるタイ山地は国の端っこにあるんです。タイは他の国と国境を接しているんです。東南アジアのあたりって山の稜線が国境になっているので、自分の研究対象とした少数民族の人々は国際政治の最前線ともいえる人たちなんです
隣の国ともめるとまずそこで何か起きるので、あの人たちと一緒にいると自ずと国際政治について考えないといけなくなるんです
石山:パっと見た時、私は勝手に国の政治から遠い地域なのかなと勝手に思っていたのですが、全く逆なんですね。すごく面白いです…。

筑波大学での先生の思い出

清水:先生のタイ山地少数民族に関する研究をまとめた著書『タイ山地一神教徒の民族誌―キリスト教徒ラフの国家・民族・文化―』 1のあとがき部分を読んで気になったことがあったのですが、筑波大学時代の片岡先生の指導教員は綾部先生だったのですか?
片岡:国際関係学類のときは、綾部裕子 2先生ですね。
清水:なるほど。地域研究研究科の修士課程では指導教員を変えたのですか?
片岡:そうですね。綾部裕子先生は地域研究研究科の教員にはなってなかったんですよ。
元々綾部裕子先生経由で裕子先生の旦那さんである綾部恒雄先生3 のご研究も読んでいました。綾部恒雄先生はその時、地域研究研究科のスタッフをやられていたので、修士時代は先生の下で勉強させていただきました
清水:そういう経緯があったんですね。
片岡:私、修士に3年かけたのですが、3年目に綾部恒雄先生は退職されたんです。そのため、修論を書く時には小野澤正喜4先生に先生に見てもらいました。
清水:色々な先生方との関りがあったかと思うのですが、その中で特に印象的だったことなどありますか?
片岡:そうですね…。
指導教員のゼミとは別にフレセミ5というのがあったのですが今もやってますかね?
清水:はい。今もやっていますね。
片岡:じゃあ、縦コン6もやっていますかね?
清水:コロナ禍になってからはやってないですが、それまでは僕らもやっていました。
片岡:1年生の時にクラス決めがされて4年間そのクラスになるんですが、私は2組で担任の先生が日本政治の辻中豊7先生だったんですが他のクラスにも担任の先生がもちろんいたんです。それで、その他のクラスがコンパで酔っ払って先生を池に落として激怒されるという事件があったんです
清水:え!?松美池8とかですか?
片岡:たしかその辺ですね、大学の敷地内の池と記憶しているので。これが教員にまつわるエピソードで一番印象に残っていますね。
清水:たしかに強烈なエピソードですね。記事には入れづらそうなエピソードですが…。
石山:いや、こんな面白エピソード絶対入れましょうよ。いい思い出すぎます。
片岡:あと先生の思い出ですと、そうですね…。
色んな先生から本当に沢山の面白い話を聞いたのですが、その中で指導教員とかゼミ教員ではない、普通の授業で、ある先生に言われた言葉が印象に残っています
清水:どんな言葉ですか?
片岡:たしか受講者もそれなりに多い大教室での授業だったんですが、先生が授業の最初で「来るか来ないかは君たちの好きにしなさい。一回も来ないで80点取る奴と毎回来てるのに80点しか取れない奴なら来ないで80点取る奴の方が偉いに決まっているだろう」って言ったんです
この言葉はずっと忘れていたんですが、自分が教壇に立つようになって思い出すようになったんです
片岡:アジアでの活動中に亡くなられた秋野豊先生9の授業も受けていたのですが、秋野先生が言われていた言葉も印象に残っています。
「大学の一学期の一つの授業で教えられる内容はせいぜい新書2~3冊分。新書なんて3時間程度で1冊よめてしまう。それについて一学期通して話すなら、1人で読んで本当に理解できる自信がある人には時間の無駄でしかない」と秋野先生は仰ってましたね
根っこの話を自分で読んで分かる自信があるなら、授業なんて行かなくていいと言ってました。
石山:先生もそのスタンスで授業をするのですか?
片岡:そうですね。授業の冒頭で、大学は最高学府で、勉強をする自由と落ちこぼれる自由が両方あるから好きにしなさいと言っています。100点を目指す履修の仕方もあれば。60点で単位を取れさえすればいいという参加の仕方もあると思います。そこは皆さんの好きにしてくれと思って言うのですが、教務の人たちからはあまりそういう事を言わないでくれと怒られますね…
石山:今なんか特に厳しくなってそうですね。
片岡:そうですね。ちゃんと出席取れとかも言われてます。
清水:学部生と院生で関わり方はまた変わりますか?
片岡:院生の場合、教えなきゃ勉強しないようでは、話にならないから、ますますこうなりますよね。
勉強する自由/しない自由の中で皆さん進学しているわけですから
清水:それは本当に身に染みて思います…。
片岡:自分自身も通ってきた道なので、自分も身に沁みながら今しゃべっていますね。
石山:それでは先生はある意味自分が教壇に立つときのスタンスを、大学・大学院での先生方との関りを通して学んだということですね。
片岡:後から考えるとそうですね。
石山:専門分野の部分じゃなくても、筑波大学で過ごした時間が先生の中で残っていて、先生の考え方の基盤の一つとなっているのだなとお話を聞いていて思いました
片岡:そうですね、やっぱり筑波大学で学部・修士時代を過ごした経験は大きいです

つくばでの暮らしの思い出

清水:片岡先生は筑波大学で修士を取得した後に、九州大学で修士・博士を取得、そして現在は京都大学に在籍していますが、それらの大学と比べて筑波大学はどういった環境でしたか?
片岡:そうですね、当時の環境って今とかなり違っていて、つくばエクスプレスもなかったんです。
ほんと公共交通機関がバスしかないような状況だったので、1年生はほとんど全員が宿舎に入っていました
清水:一の矢宿舎10とかですか?
片岡:私は一の矢宿舎でしたね。私は実家が東京でしたが、そこからでも通える場所ではありませんでした。本当にみんな宿舎に入っていましたね。
清水:今でも1年生は宿舎に入ることが多い印象ですね。アパートも少ないですし、授業も多いですから毎回通うなら宿舎の方が楽なんですよね。
片岡:宿舎に入るからこそ友だちも出来たりして、人と仲良くなるのにも良い環境でしたね。
宿舎で過ごした学類の4年間はずっと修学旅行をしているようでした
清水:その感じ、すごくわかります。
片岡:酒の瓶を持って誰かの部屋に集まって、酔っ払ったら好きな子の名前を言い合ったり、毎晩そんな感じでした。
清水:良いですよね、今でもそういうことはしますね。
大学院時代はどのように過ごしましたか
片岡:大学院の頃はアパートに入っていたのですが、一個上の先輩と二個上の先輩と同級生がなぜかみんな隣り合ったアパートに住んでいて頻繁に行き来するので鍵を閉めないで生活していました。
片岡:先輩の家がたまり場になっていましたね。先輩がバイトしているときは勝手に先輩の部屋に入ってお酒飲みながらテレビを見てました。そうしている間に同級生も勝手に集まって来るんです。
石山:すごく楽しそうですね。
片岡:そうですね。それに同級生の一人に今大学の先生になっているやつがいるんですが、彼のアパートが丁度私のアパートの真向かいだったんです。
窓がお互い面していたので。窓開けて「ご飯食べに行こうか?」とかそこで話してましたね。
石山:漫画みたいなシチュエーションですね!?
片岡:県外から研究対象の近い女子学生が遊びに来るってなった時は、我々全員男子だったので、泊まる場所どうしようと相談し合ったりしました。結局、その中で一番マシな部屋に住んでいる奴の部屋を開けてそいつを自分の部屋に泊まらせるなんてこともしていましたね。本当にみんなでユニットになって暮らしていました。
石山:そういう時も協力しあって対応していくんですね。
片岡:すごく大雑把な生活ではありましたが。
ゼミの後なんかは誰かの部屋に集まって、酒飲んで先生の悪口なんか言ってましたよ
石山:学生の話題って時代が変わっても本当に変わらないですね。
片岡:そりゃそうですよ。だから私、学生たちが悪口言いにくくならないように院生室らへんはできるだけうろつかないようにしています
石山:そこを先生が気を使ってあげているんですか。
片岡:学生には教師の悪口を言う権利がありますからね。
石山:なんていう理解力…。
片岡:自分自身がそうだったからですよ。
ゼミの後輩に「先生のあのコメントは無視していいぞ」とか言ってました。
多分うちの学生も「片岡のあのコメント聞かなくていいぞ」とか言っていると思いますね。
清水:でも僕、この前先生のところの学生に会ったのですが、片岡先生のことを「お菓子をくれるいい先生」って言っていましたよ。
それを聞いて、そして今回実際こうしてインタビューをしてみて、片岡先生はすごくフランクな印象を受けています。

先生の研究について

清水:これまでの話で、片岡先生にとって国際関係学類そして地域研究研究科での出来事が先生の今にすごく繋がっているんだなと感じられました。
少し話は変わりますが、今後の研究者としての展望をお聞きかせください
片岡:今後コレをしていこうというのがあるわけではないのですが、書かなきゃと思っている論文はいっぱいあります。まず目の前の宿題を終わらせていくことを考えていますね
清水:文化人類学の研究者の方々ってフィールドワークからの色々な蓄積があって、そこからインスピレーションを受けて分析していきたいことが一杯あるって印象があります。片岡先生もそういった感じなのでしょうか?
片岡:そうですね、フィールドワークを通して得た情報から考えていきたいことは沢山ありますね。実際、自分が仮説として立てた物事が実際現地に入ってみると覆されたり、全くこれまで見えてこなかった物事に関心を引かれることもあったので
石山:多分先生がフィールドワークの中で認識を覆されたことの話につながると思うのですが、先生の著書にある、タイ山間地少数民族ラフのキリスト教への認識の話もすごく衝撃的でした。先生も著書の中で書かれていたように私も「多くの神がいることを許容しないことは傲慢ではないか?」って感じてしまっていたんです。でもそれに対してラフの人たちは「神を選べると思うなんて傲慢だ」と考えていると読んで、勝手に自分が自分の視点を普遍的なものと捉えていることに気が付いて驚きました。
片岡:もちろん僕が研究したラフの人々だけではなくて、一神教徒の人たちはそう言う考えをするんですよね。やっぱりイスラーム教徒の多い東南アジアなんかを研究している仲間と話すとみんな同じところに驚きを覚えるんです。
多分キリスト教やイスラームが広まっているところではよくある発想なのでしょうが、私たちにとってはそっちの方がエキゾチックで面白かったりするわけですが
石山:そう、そうなんですよ。自分の中にない発想だったからすごく衝撃を受けてしまいました。
片岡:私も衝撃を受けたんですよ。あ、言われてみれば確かにそうだなと。
石山:なんていうか、普遍的な考えなんてどこにもないんだなって、先生の本を読んでいてちょっと思いました。でも同時にラフの文化体系が日本に似ているところもあって不思議でした
片岡:自分の本の宣伝になってしまうのですが『アジアの人類学』11という本を編集していまして、そこでラフに伝わる物語の中にどう考えても「猿蟹合戦」みたいなものもあれば、『古事記』とまるで同じな話があるんですよ
石山:なぜこれほど類似性が出るんでしょう?
ラフの暮らす山間部が日本の風景と似ているのも関係しているんでしょうか?
片岡:それについては丁度考えていたところなんです。
共通の環境だから共通のパターンをたどっているのであれば平行進化になりますし、共通のルーツがあるのだとすれば伝播の話になりますから。そこから先は非常に難しい話なんです。非常に慎重になりながら考えていかねばならない課題の一つですね
清水:先生が東南アジアのみならず、最近では日本についても研究しているのはタイ山間部少数民族と日本の文化の類似性の調査のためなんでしょうか?
片岡:いえ、あまりアカデミックな理由ではないんです。
今調査している愛媛県の菊間町は亡き母の生家があった場所なのですが、親族みんな関東の方に出てしまったので今は痕跡しかないんです。だからこそ調査をしようとしているだけなんです。あまり学問的な説明じゃないんですが、ある時期からそこに通いたくなったのをうちのおばに話したら「それはあんたのお母さんが行かせているのよ」と言っていましたね。
石山:実際自分のルーツの場所の文化や語られている物語ってすごく面白いですよね。
地域の土地柄や人間の気風や歴史にかなり左右されていて、興味深いです。
片岡:筑波大学の周りなんかも民間伝承の宝庫だったりしますよ。
石山:え!?そうなんですか?
片岡:筑波大学にいた時、実習で筑波大学付近の民間伝承の聞き取り調査をしたんですが、そのときにすごく面白いけれど、この記事には載せられないような話をいっぱい聞きました。
石山:き、聞きたすぎます…。
片岡:記事に書かないでくれるなら後でお話ししますね。
石山:お願いします!!!

国際公共政策学位プログラムの在校生と進学を考えている人に向けて一言

清水:最後に国際公共政策学位プログラムの在校生やこのプログラムに進学を考えている人たちに向けて一言お願いします。
片岡:これは先ほども話した通りですね。最高学府では学ぶ自由と落ちこぼれる自由があります。
そして、特に一つ上の勉強・学問がしたい人。つまり大学・大学院に進学したい人に覚えておいてもらいたいのは「教師はウソをつく」ということです
片岡:もちろん高校までの先生たちが教えることも大いに疑っていいんだけども、実際はみんな忙しくて一生懸命覚えるのに必死で大体そこで時間が終わってしまいます。
その中で先生たちが付くウソというのは決して騙そうとしてではありません。自分が今しゃべっている/書いている論文も聞き手や読者さえいれば、いずれだれかに研究を「このデータは古い/間違っている」「この現象はこういう風に見た方がいいのではないか?」と批判される時が来ます。皆さんが論文を書く時も先行研究のあら探しをしますね。
そして私たち研究者は先人たちの研究が間違っているところ、アップデートすべき場所があるからこそ存在価値があるんです
片岡:だからこそはじめに、指導教員や自分にとって身近な先生の言葉を疑いながら学生生活を過ごしてほしいですね
清水:本当に先人に対しての姿勢というか特に指導教員を越えていかなければ、と僕自身も今のお話を聞いて思いました。
その気持ちを秘めてこれから励んでいきます!
そして長時間にわたりインタビューにお付き合いいただきありがとうございました。
石山:片岡先生、ありがとうございました!
片岡:はい、それでは国際総合学類の学生さんたちにも、国際公共政策学位プログラムの院生さんたちにも学生生活を楽しんでもらうよう伝えてください。私も筑波大学で過ごして悔いなしだったので
清水:はい、かしこまりました!今日は本当にありがとうございました。

 

1.『タイ山地一神教徒の民族誌―キリスト教徒ラフの国家・民族・文化―』では片岡先生のタイ山地でのフィールドワークを通した研究についての詳細が書かれています。こちらのリンクから購入もできます。
https://amzn.asia/d/2b8XfgB

2.綾部裕子先生は筑波大学の現代語・現代文化学系で教授に就任し、国際関係学類(現 国際総合学類)でも教鞭をとっていました。タイを中心とした言語学の研究をしています。

3.綾部恒雄先生は歴史・人類学系の教員として在籍していました。タイをフィールドとした文化人類学者です。

4.小野澤正喜先生は筑波大学の歴史・人類学系の教員として在籍していました。綾部恒雄先生と同様タイをフィールドとした文化人類学者です。

5.筑波大学の学類(学科)1年生の必修科目の1つ。入学後のオリエンテーションや学生同士の興味関心を共有したりします。

6.縦コンは学類の1年生から上級生までを含んだ学年横断型のコンパ・飲み会です。世代によっては縦飲みとも言います。現在では同学年での飲み会は横飲みと呼ばれています。

7.筑波大学社会科学系政治専攻の教員として在籍していました。現在は東洋学園大学で学長に就任しています。

8.筑波大学第1エリア内にある池 です。晴れた日はお昼を食べたりするのにもいいところです。過去の学祭(雙峰祭 )では馬に扮した学生が池を走り抜けるイベントがありました。

9.秋野豊先生は筑波大学社会科学系の教員として在籍していました。1998年に国連から派遣され、タジキスタン監視団として活動中に殉職しました 。現在も国際総合学類・国際公共政策学位プログラム研究棟に秋野先生の追悼記念品が飾られています。ロシア外交や中央アジア政治を専門としていました。

10.筑波大学の北端にある宿舎です。自然がいっぱいですね。学類の1年生は最初に宿舎に住む人が多いです。 講義が終わって帰ったあと、みんなで集まってご飯を食べたり、駄弁ったりして。友達を作る環境として素晴らしいです。私は大学1年で隣の部屋だった子と修士2年のときに同じバイト先になって運命を感じました。

11.『アジアの人類学』には片岡先生の人類学に対する考え方や、今回のインタビューに登場したラフ研究に関する事例が書かれています。こちらのリンクで買えます。是非。 https://www.amazon.co.jp/dp/4861103576